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横断歩道の白と黒の間

セクシュアルマイノリティの人が書くブログ

Twitterを見てて、思った雑感

どうでもいい話

こんにちは。

 

休日にTwitterをぼーっと眺めていたら、ふと目に入ったツイートが

 ぴこーん!!と謎がほどけていくような感じがあったので、だー!!っと文章にしてみたんですが、やたら長くなったのでブログに書くことにしました。

 

以下、僕の個人的な雑感なので 

お時間があればお付き合いいただければ幸いです。

 

スマホ等では読みづらいかもしれません。

すいません。

しかもくっそ長くて、すいません。 

 

 

僕は、性別欄「女」というものに嫌悪感はない。

なぜなら、これは体の性別を戸籍に書かれたものであるという認識だから。

僕は染色体も内外性器も「女性」に分類されるものであると

医学的に証明されていて

戸籍の性別は、その明記だと思っている。

でも、僕の思考、所謂「心」の性別は

「女」と意識できていない。

二択だとすると「男」になるわけだが

僕の場合、意識が男と認識しているのではなく

自分の体が医学的に男性でないことに対して

嫌悪感というか体がそうでないことに苦しみを持っている状態。

だから、僕自身は戸籍の性別の表記などどうでもよくて

それが男に変わることへの拘りは一切ない。

オペをする事でまるで「男」になれるかのような認識は僕は持っていない。

あれは「戸籍の表記」が変わることに過ぎず

それを僕が「男」として納得できない。

あくまで、僕自身がそう思っているというだけで

そうだと断定したいのではない。

だから、戸籍の性別が変わったことで

自分が「男」になれたとは思うことはできない。

そういう意味で「戸籍の性別に拘りがない」ということだ。

それを「性同一性障害」に分類するのが正しいのかどうかはわからない。

ただ、他の「性同一性障害」の方々となにかちょっとズレてる

という認識はある。

あなたの性別はなんですか?と聞かれれば

「女です」と答えることになる。

これは、何一つ誤りではない。

なぜなら、医学的に僕の体は女だから。

しかし、不思議なことに、医学的な体の性別により

僕の人間性というか

行動や思考や生き様を「女」とされる事には

ものすごく抵抗がある。

なぜならば、僕はそこにおいて

女という認識を持つことができないから。

それは心の性別が男だからではないか?と問われれば

それは性別は男女の二種類であるという二元論においてであって

例えば軸がx線状の線ではなく、面や球体だったとしたらどうだろうか?

「女ではない」ということを僕自身が思っていても

では、なんなのかという明確な答えは僕は持ち合わせていない。

僕の体は女である。故に男ではない。

ということは証明できても、僕の意識は女ではない。

故に男である、という証明はできていない。

僕自身は、子宮卵巣がない、故に男性であるというのは、偽であると考える。

よって、僕にとって、摘出手術は男性になれる手術ではないと考える。

女性という性別の表記は

女性の体であるという事実から受け入れているが

女性の体である事に嫌悪はある。

しかし、表記の変更に対して拘りはなく

また性別適応手術は、男性になる手術とは言い難い故に、積極的ではない。

そして、僕は生涯この状態を受け入れ続ける他ない。

これを何かの状態である、例えばFtMなのか

はたまたXなのか

トランスセクシャルなのか、トランスジェンターなのか

わからない。

性同一性障害という診断を持ってしてもなお、

他人のレッテル貼りからは逃れられない。

とどのつまり、僕が何者であるか

というものを第三者によって判断されるのは受け入れられない。

医学的立証を除いて。

僕は、僕の意識のまま骨格や声や性器が

医学的に男性に分類できる状態になった時、

初めて性同一性を持てると思う。

いや、性が一致しているかどうかはわからないが

自分の苦しみからは解放されるのだと思う。

しかし、完全なる男になるのは不可能だから

どのみち苦しみの中で生きていかなければならない。

だから身体的負担を避けている、というのが今の状態。

性別を聞かれれば、間違いなく「女」なのだから

性別欄に女と書くのは構わないのだが

だからといって、シスジェンターの女性と同じか

と言われれば、それは違うわけだから

性別欄というのは、何を問うているのか?

ということを明確にしていただければとは思う。

かといっても、心の性別は何ですかと聞かれても答えられないし

その他とするのも、腑に落ちない。

性別を持たないわけでも、明確な性別を持つわけでもない。

医療において必要な場合や戸籍を問うのではない限り

(あなたにとって、僕の性別なんか)どうでもいいじゃないか、そんなこと。

くらいに思っているので、性別欄がなくなっていくというのは

少なくとも小さなストレスが無くなる状況だと思う。

 

 

ここまで書いて、書き始めたとき

何かがほどけていくような

スッキリした感覚があったのに

言葉にすれば

結局混迷してしまった。

そして、またぼーっと思考を巡らせていて

気がついたのだけれど

今の僕は、髪型にしろ服装にしろ

いわゆる「女性」として生きることを

強制されている状況ではないので

かなりのストレスが軽減されている。

その状態で、純粋に抱く嫌悪感は体に対するものなのだが

結局のところ、服装や髪型等は男性のものを好むわけだから

男性性を望んでいるのかもしれない。

だけど、「男性」ってそんな単純な話ではなくて

大人になればなるほどそういうものは見えてくるわけで

様々な経験から

正直なところミサンドリーをこじらせている自分もいる。

だから、純粋の男性になりたいと思えないという

めんどくさい側面もある。

自分で読み返してみても、わけがわからないので

ここで終わりにしようと思う。

最後まで読んで頂いたあなたに

最大の敬意を表明したい。

ありがとう。

 

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