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横断歩道の白と黒の間

セクシュアルマイノリティの人が書くブログ

小説始めました。

小説

ご無沙汰です。

 

文章を書く小銭稼ぎをはじめました。

 

そんなことをやっていたら

 

一度やってみたかった小説を書くということを

 

やりたくなったので

 

書き始めました。

 

書き終わらないかもしれないし

 

ただの黒歴史量産になるかもしれないし

 

あらすじとか設定とかを何も考えずに書いているので

 

しっちゃかめっちゃかになるかと思います。

 

まずにして、レズビアンの話にしようと思ってたのに

 

主人公の性別を突如変えてしまいました。

 

私に「女性」が描くことが出来るのか。

 

果たして、この小説はどうなるのか。

 

無謀にも、何かの新人賞に応募して玉砕してみたいのですが

 

こうやってブログに書くと応募できないんですかね。

 

まぁ何でもいいや。

 

おもしろくないこと請け合いですし

 

日本語も間違っていると思います。

 

そういう時はアドバイスいただけるとうれしいです。

 

それでは。

 

どうぞ。

 

 ▼▼▼

「私、女の人が好きなんだよね」


手に持ったレモンサワーのグラスに視線を注いだまま、まるで独り言のように、先輩は言った。
私に伝える、というよりも、何かの決意を握り締めたレモンサワーの中に沈めるかのようだった。
先輩は、かわいらしいというよりは、気の強さが伺える整った容姿で、話しかけやすい柔らかな空気を身にまとっているからか、後輩だけでなく同期の男性からも頼られ、上司からの信頼も厚い。

と、絵に書いたような完璧な女性だ。

先輩の同期の女性は、5人いたらしいのだが、全員が結婚を機に退職した。
先輩はアプローチがあっても「今は仕事に集中したい」とのらりくらりかわしている、という話を他の部署の人に聞いたことがある。
私のところには、なぜか「女性が好きな女性」や「男性が好きな男性」だけでなく「女性の体を持つ男性」や「男性の体を持つ女性」が私のところに来ては、懺悔のように吐き出して帰っていく。
先輩もその一人なのかもしれない。
彼らは、何一つ悪いことをしているわけではないのにもかかわらず、まるで大罪を犯しているかのように、誰にもいえない秘め事を抱え、世間の無邪気な戯れに時折傷つきながら、何食わぬ顔で社会の中に紛れ込んでいる。
先輩も、隣の席で、長年付き合った彼氏が、全く結婚に意欲を見せてくれないので、婚活サイトで新しい相手を探してみたものの、低収入の残念な人しかいなくて、憤慨しているあの女性と同じように、女性に恋をし、やっぱり結婚したいという身も蓋もない台詞でフラれた迷える子羊なのだろうか。
あの女性と、先輩の違いなんていうのは、何一つないのだけれど、細胞レベルで言えば、何ひとつとして同じではない。


「なるほど。」

 

あまり間をおくのも、失礼かと思い、私はようやく言葉を発した。

 

「それで。」

 

我ながら、冷たい発言だと思う。
しかし、ここで彼女たちが幾度となく言われたであろうありきたりの「いいんじゃないですか」などという気にもなれなかった。
言いも悪いも、何もない。
今、こうして、彼女はここに存在しており、それは私が良し悪しを判断するような事柄ではない。

 

「それでって。驚かないの?」

 

ようやく、顔を上げた先輩の頬は熟れた桃のようなやさしい色になっていた。
お酒に酔ったのではないのだろう。
一世一代の告白を、今言わなければと、就業終了直前に私に声をかける前から、もしかしたら何日も前から、何度も反芻してきたにに違いない、緊張感がそこにはあった。

 

「私、元男なんですよ」

 

毎朝の挨拶のような雰囲気で、ぼそりと言葉を置いてみた。

食べごろをとうにすぎた、硬くなった焼き鳥を無造作に口に放り込む。

隣の席の女性が「逆プロポーズなんて嫌だよ。私はロマンチックなプロポーズを夢見ていたのに!」と悲痛な叫びを上げていた。


世間ではLGBTなどとレズビアン、ゲイ、バイセクシュアルトランスジェンダーなどと、一緒くたに語られている。
レズビアンは女性が女性を愛する人、ゲイは男性が男性を愛する人、バイセクシャルは、男性も女性も愛する人、トランスジェンダーは、社会的に性別を越境する人である。
LGBは性指向と呼ばれる、どんな性別を愛するのかということについてであるが、トランスジェンダーというのは自分自身の性別をどう捉えるか、という性自認についてである。
世間では、この四種類に分類できるかのように捉えられているが、実際は多種多様であり、その当事者ですら理解が追いついていないのが現状である。
また、LGBにおいては、おおかた生物学的性別に違和感を抱くことなく、自分はどのような性別であるかという性自認が生物学的性別と一致している。
しかし、Tにおいては、生物学的性別と性自認が一致していない、いわゆる性同一性障害が含まれている。
LGBとTの間には、ベルリンの壁よりも厚く高い壁が立ちはだかっていることが往々にしてあるのだ。
早い話、一見同属に見える両者間には異性愛者と同性愛者以上の無理解が広がっている。

「え?オカマなの?」

パサパサの焼き鳥を食道が拒絶していたところをお酒で流し込んでいた私は、思わずむせた。

「失礼な。女ですよ。」

当事者でない人間の、他者に対する理解というのは、この程度のものなのである。

「体が間違って生まれてきて、間違ったまま戸籍に記名された。私は生まれてからずっと女です。」

おおよそ、やさしさのかけらもない、当事者にしか理解できない信念をイラつきとともにぶつけた。

「ごめん。戸籍を訂正したの?」

多少の知識はあるらしい。

2004年、長年、性適合手術は違法とされてきた日本で、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が施行された。
一定の条件をクリアすれば、戸籍上の性別を変更することが出来る法律だ。
性適合手術についての明文化はないものの、性適合手術をしなければ、条件を満たすことが出来ない。
ゆえに、「性適合手術をすることが出来る」と解釈でき、性適合手術が合法となったのである。
私はそのとき、高校三年生、18歳だった。
大学に進学し、アルバイトをしながらお金をため、大学卒業前に性適合手術を受け、戸籍の性別を変更し、一年就職浪人を経て、女性として就職した。
地元から遠く離れ、私の過去を知る人など誰もいないこの土地で、女性として生活している。

「はい。名前も変えました。私の戸籍は汚れていますよ。」

私の戸籍には、長男というところに二重線が引かれ、長女と明記されている。
実質の長女は、妹なのだが、長男が女になると自動的に長女になる。
我が家には、長女が二人いる。
改名する前の名前もしっかりと残っている。
「元男」という忌々しい烙印は死んでも残り続けるのだ。

 

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