横断歩道の白と黒の間

セクシュアルマイノリティの人が書くブログ

性をカテゴライズするということ

こんばんは。

 

ずっと書こうと思いつつ

 

なかなかまとまらなかった

 

エントリーを

 

ぽつぽつ書こうと思います。

 

例によって

 

くっそマジメで

 

くっそつまらないエントリーになります。

 

また、このエントリーは

 

私、陽が個人的に考えていることであり

 

それ以外を排除するようなものでは

 

ありません。

 

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セクシュアルマイノリティには

 

ゲイ・レズビアンという

 

性指向におけるカテゴライズと

 

F(M)tX・FtMMtFという

 

性自認におけるカテゴライズと

 

Aセクシュアルノンセクシュアルという

 

性に対するカテゴライズがあります。

 

(一例です。)

 

これらは、大概の場合「自称」する事となります。

 

しかしながら、「自称」故に

 

それぞれの判断に依る事となります。

 

ともすれば、私の言う「FtX」と誰かの言う「FtX」は

 

それぞれの定義の中で相違がうまれる可能性があります。

 

ならば、そもそも、

 

そのようなカテゴライズがなくなる社会になれば良いと、

 

元も子もないような

 

論理展開がなされることもあります。

 

しかしながら、なぜわざわざ、

 

カテゴライズを必要とするのでしょうか?

 

異性愛者がわざわざ

 

「私は異性愛者です」と言わないのは

 

異性愛者である」という事を

 

表明する必要がないまま

 

異性愛者である」と分類されるからです。

 

ともすれば、世の中に、同性愛者が受け入れられ

多様な性があるという事が

 

「普通」になったならば

 

私がわざわざ、「私はFtxで、性指向は女性です」

 

と表明する事はなくなるでしょうか?

 

おそらく、それはノーといえるでしょう。

 

なぜなら、ありとあらゆる可能性があるからこそ

 

相手がどのような人間なのか判別する為に、

 

より多くの(目に見えない)情報が必要となるからです。

 

ですから、初対面の挨拶で名前、年齢、ともに

 

性自認と性指向を表明する事のほうが

 

「普通」となる可能性は高いのではないでしょうか。

 

要するに、このカテゴライズというのは

 

「自分がどのような人間であるか」ということを

 

相手に伝える為の、手段に他ならないのです。

 

日本人しか居ない環境で

 

「私は日本人です」とは言いません。

 

しかし、多国籍の人間が集まった場合

 

「私は日本人です」と言う必要が出てくるでしょう。

 

私は、新潟県から沖縄県に引っ越しました。

 

初対面では必ず「ないちゃー(本州の人)ですか?」と

 

聞かれます。

 

これは、私と対面した人が

 

私をどのような人なのか?と判断する為に

 

他意なく、聞くためです。

 

現状、人間の使う言語を使用し挨拶をかわすのは、

 

おそらく人間だけですから

 

「あなたは人間ですか?」と聞く必要はありません。

 

しかし、姿形を同じとして

 

人間と同じ言語を操る

 

アンドロイドがいる世界になったとしましょう。

 

そうなったならば、きっと

 

「あなたはアンドロイドですか?人間ですか?」

 

という問いが生まれるでしょう。

 

そうなると、何をもって人間と定義するのか

 

という、哲学的な問いに発展します。

 

これが、私たちが各カテゴリの持つ定義に

 

悩む所以でもあります。

 

が、ここは長くなるので割愛しましょう。

 

 

 

私たち、セクシュアルマイノリティ

 

カテゴライズに悩まされています。

 

何をもってFtXとするのか

 

何をもってノンセクシュアルとするのか。

 

私は同性愛者なのか?

 

私はどのカテゴリに入れてもらえるのだろうか?

 

どこに分類されるのだろうか?

 

自覚する部分と

 

他人から、どう見える、見られる、見てもらえるのか。

 

その狭間で悩む事となります。

 

しかし、自己というのは

 

他人に認められる事によって

 

確立するのではありません。

 

言い換えれば、何かの規範の中で

 

こうあるべき、こうすべき

 

それにあてはめようとする自己は

 

自己とは言えないのです。

 

(それが悪いと言うのではなく)

 

西暦ももう2015年も経った現世において

 

オリジナルな自己確立などというのは

 

全く持って詭弁となりうるのですが。

 

難しい話になりましたが、

 

端的に言えば、カテゴライズにおいて

 

他人がどう見るか、ということは

 

気にしなくて良いという事です。

 

カテゴライズというのは

 

相手に「自分」を伝える手段として

 

使う道具でしかありません。

 

それゆえ、現状あるセクマイの

 

カテゴライズの定義は

 

人それぞれの解釈があり

 

定かではない訳ですから

 

わざわざ、自分がどれに当てはまり

 

分類されるかで悩む必要はないのです。

 

ましてや、そのカテゴリ名を相手が

 

知らなければ、それは道具として十分ではありません。

 

「私は『ハムベルクス』です。」

 

などと言ったところで

 

相手には伝わらないのです。

 

ハムベルクスとは私が今作った言葉です。

 

これは、良好なコミュニケーションとは言えません。

 

自分と相手が相互に同じ定義で理解しているカテゴリ名を

 

使わなければなりません。

 

しかし、マジョリティに説明するならば

 

私は戸籍、生物学的、身体的には女に分類されています。

 

しかし、私自身は、この分類において、とても違和感があります。

 

現状、日本においては、

 

男と女の二分類のどちらかしか存在していませんが、

 

私自身は、そのどちらでもないと感じています。

 

男性であるという自覚はありませんので

 

俗にいう性同一性障害ではありません。

 

性同一性障害というのは(略)

 

ですから、私は、自覚として男でも女でもないと思っています。

 

性というのは、昨今の研究において

 

二分類できないという結果も出ています。

 

(事実ではないかもしれません)

 

できれば、私と言う人間に於いては

 

女らしさや男らしさなどという精神論の押しつけは

 

辞めて頂ければ幸いです。

 

ただ、身体的には女ですので

 

お風呂もトイレも女性用を使用致します。

 

いわゆる恋愛においては、

 

相手の性別をどちらかに限定する事はありません。

 

セッ○スにおいても、どちらの性別にせよ

 

さほど好意的ではありません。

 

トイレやお風呂や着替えにおいて

 

女性とともに行ったとしても

 

人の礼儀として

 

失礼にあたるようなことは致しません。

 

くらいの説明が必要になります。

 

今後、目指すべき世界というのは

 

カテゴライズがなくなる世界ではなく

 

その説明がいらなくなり

 

私は「FtX」です。

 

私は「ノンセクシュアル」です。

 

私は「同性愛者」です。

 

というカテゴリ名で自分という人間を

 

説明・紹介できる世界なのでは、

 

ないのでしょうか。

 

カテゴリ名で説明できるということは

 

それだけ世の中に理解がひろがり

 

意味が定まった時にできる事なのです。

 

ひいては、第三者から

 

勝手にどこかのカテゴリに分類されるという

 

こともなくなるのです。

 

ですから、現状、自分がどのカテゴリに属するのか

 

ということで悩むことは

 

取り越し苦労になるのです。

 

だから、それにおいてはもう悩まなくて良いと思うんだな

 

おばさんは。

 

でも、現実として

 

第三者から勝手に当てはめられるカテゴリに

 

悩む事もあるよね。

 

自分の思うカテゴリから排除される事も

 

あるかもしれない。

 

でも、自分の言葉で、自分の事を説明できれば

 

それでいいんじゃないかな。

 

カテゴリというのは

 

人に説明する為の

 

便宜上のものでしかないのだから。

 

ではまた。

 

いつも最後まで読んでくださり、

 

ありがとうございます!!

 

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